臨床実戦 呼吸器外科の裏ワザ51
知って役立つ現場のテクニック
著 | : 浦本秀隆/常塚宣男 |
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ISBN | : 978-4-524-25137-7 |
発行年月 | : 2017年5月 |
判型 | : A5 |
ページ数 | : 172 |
在庫
定価4,400円(本体4,000円 + 税)
- 商品説明
- 主要目次
- 序文
- 書評
外科の世界では、一見どうでもよいような、いわゆる実地臨床の狭間の小技が時に目の前の患者を確実に救う。本書では、このような基本的すぎて成書に載っていないような診断・手術の技術を中心として、臨床現場で困った瞬間にどう対処するか、リスクを最低限に抑える思考回路、呼吸器外科的テクニックや解釈、さらにnice recovery shotの裏ワザを記載。主に筆者の経験と戦略、その根拠を記述し、イラストを多用。どこから読み始めても有益となる一冊。
I.呼吸器外科的解剖
裏ワザ01・肋間動脈は下縁だけ?
裏ワザ02・気管支動脈の走行パターンは理解しているか?
裏ワザ03・肋骨はどうやって数えるのだろうか?
裏ワザ04・開胸方法は?肋間神経の扱い,術後疼痛を無視していないか?
裏ワザ05・心臓血管外科の知識は呼吸器外科にも必要だ
II.呼吸器外科の基本
裏ワザ06・消毒について考えたことはあるか?
裏ワザ07・持針器と糸と針のこだわりがあるか?
裏ワザ08・糸結びは意識して行っているだろうか?
裏ワザ09・連続縫合の最後の結紮の極意
裏ワザ10・止血の基礎に習熟しているか?
III.裏ワザのオペ準備
裏ワザ11・小さい腫瘍は張り紙作戦
裏ワザ12・気胸のオペ室では煙突?
裏ワザ13・腹部の手術歴は呼吸器外科にとって重要?
裏ワザ14・エネルギーデバイスの功罪を理解して使っているか?
IV.胸腔ドレーン
裏ワザ15・胸腔ドレーン留置の成功は皮切の場所で決まる
裏ワザ16・外側内胸動脈とはなんだろう?トロッカー挿入の注意点と技術は?
裏ワザ17・胸腔ドレーンの固定方法はどうしているか?
裏ワザ18・胸腔ドレーンを抜くときのお作法は?
V.血管の剥離
裏ワザ19・血管の剥離の際はどこが力点,作用点,支点か考えてみよう
裏ワザ20・肺動脈鞘について理解しているだろうか?
裏ワザ21・心膜と心.内血管処理の注意点は?
裏ワザ22・Marshallのヒダの剥離は慎重に
VI.気管支
裏ワザ23・肺手術時の最適な気管支断端縫合の方向は?
裏ワザ24・気管支の適切な切離ラインはどこ?
裏ワザ25・全摘後の断端瘻,さあどうする?
裏ワザ26・血管と気管支がどうしても剥がれない,どうする?
裏ワザ27・気管支形成での縫合はどうすればよいのだろうか?
裏ワザ28・遊離脂肪の寿命は長い?
VII.葉間の問題
裏ワザ29・不全分葉に対する手術INTACTとは?
裏ワザ30・不全分葉に対する手術T-BITとは?
裏ワザ31・葉間に存在するVX4やVX6を意識しているだろうか?上葉へのaberrant V2は?
裏ワザ32・術後肺捻転の予防方法は?
VIII.裏ワザの診断法
裏ワザ33・肺の圧排で気をつけることは?
裏ワザ34・肺を抑えるair leak testは自然な状態で行おう
裏ワザ35・術前にしみこみリンパ節がわかる?
裏ワザ36・微妙な呼吸性移動の確認法はどうすればよいか?
裏ワザ37・3D-angiographyの色で奇形を見つけちゃう
裏ワザ38・大動脈浸潤と言い切るのは慎重に
IX.困ったときの対応
裏ワザ39・ICG蛍光navigation surgeryとして区域切除を行ってみよう
裏ワザ40・肺動脈からの出血,どうすればよいか?
裏ワザ41・困難な肺の癒着剥離はあえてP/Dの層で剥離
裏ワザ42・肋横関節を外すときは先に血管処理を
裏ワザ43・上大静脈の置換,注意点は何か?
裏ワザ44・左房切除でのinteratrial grooveを知っているか?
裏ワザ45・胸壁浸潤肺癌,どこから手をつけるべきか?
裏ワザ46・肺動脈本幹クランプをスムースにやるには
裏ワザ47・タコシールRでアナフィラキシー?
X.その他
裏ワザ48・胸腔鏡下手術とは?
裏ワザ49・多発肺癌の治療戦略
裏ワザ50・Dual operator
裏ワザ51・制限
索引
はじめに
九州、関東、北陸という場所で指導的立場で診療に携わり、「ん?なぜか話が通じない」という経験をした。あれ?部下がメモなんかしている?「なぜ?」って聞くと、「そんな話聞いたこともないし、どこにも書いていませんよ」って言うのである。そう?おかしいなあ?そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。20年以上も呼吸器外科の世界にいて感じることは、大切なことの少なくとも一部は意外と教科書に書いていないということである。当たり前だが、何が大切で、何が大切でないかは人によって異なるし、同じ人でも、時期と自分を取り巻く環境によって異なる。
外科の世界では、ずっと不文律というか、いわゆる言わなくても知ってるでしょうみたいな暗黙の概念が、確実に存在する。その、あ・うんの呼吸で伝わるような小さなルールは、医局を越えて外に出ることはない。研究会や学会、論文、さらにインターネットがこれほど流布する時代になっても、流通しない。なぜ?それは現場の細かなTipsを、わざわざスライドや論文で他人に示すものでもないからである。つまり、狭い世界でそれなりに完結してきたのである。
自分自身のテクニックに対して思いを巡らすという行為は、医学への好奇心と患者への愛情とリンクする。さまざまな裏ワザは、上司から知らないうちに教わったこともあれば、教わった記憶はないけど、なぜか日常的に自分自身は大切だなと思っていたというものもある。逆に、教わったことだけを忠実に実践する医師は、とても多い。実は、医師は疑いを知らない生真面目な集団なのではないかと思うこともある。通常、上司は若き日に身につけた技や考えを部下に伝える。部下はけなげに教わったことだけをやり続ける。なんだかどこかの宗教のようである。一見とてもよいようで、ほほえましい。上司にとって、自分の意のままになる部下はかわいいと感じるだろうし、何より、部下も何も考えないでよいので楽である。
しかし、このようにただお仕えする部下はアウトかもしれない。反逆性のある、カリスマ的な部下の登場を、懐の深い上司は求めている。何を伝えたいかと言えば、数年から数十年もの間、同じ術式やアプローチ、考え方を、自分の頭で何も考えずにしていることは、少なくとも安全性は歴史的にそれなりに証明されているとも言えるが、逆に医学の進歩には危険な思想かもしれない。科学の常識は常に変化している。つまり、上司は尊敬しつつも疑ったほうがよい。“Question authority and think yourself ”である。Leonardo da Vinciも、“Tristo e quel discepolo che non avanza il suo maestro.”(自分を追い越せない弟子をもつことは悲しいことである)と言っている。その一方で、逆に常に自分の頭で熟考し、その信念に基づいていれば、何もころころと術式やアプローチを変える必要もない。つまり、やわらかい頭は必要であるが、流行に流されるのもよいこととは言えない。しかし、人間は揺れ動き、悩む。学会に行くたびに悩む。うーん。いろんな流派があって、その根底にはいろんな思想がある。全国から毎年多くの医師が参加する学術集会で議論して、学閥などを乗り越えて知識を学び、技術を研鑽しているのに統一することができないのは、それが人間の本質であるのかもしれない。
医師それぞれのもつ信念と、それに裏打ちされた技術が、個性であり特性とも言える。しかし、これから示す、一見どうでもよいような、いわゆる実地臨床の狭間の小技は、時に目の前の患者を確実に救う。そのことを広く知ってもらいたいなあという感覚で、若い呼吸器外科医や、心が若い外科医、さらにベテランの呼吸器内科医に向けて書いてみた。
2017年5月
浦本秀隆
はじめに
呼吸器外科医としての基本的な知識は、さまざまな成書で得ることができる。しかし、成書に書かれていないことも、依然多くあるのも事実である。なぜ書かれていないかは、書く必要のないくらい基礎的なことなのか、まだ結論が確定していないことなのかなど、さまざまな理由があると思われる。時代とともにこれまでの常識が、常識でなくなることが多いのが医学である。とくに臨床医学は「経験の科学」と言われ、これまで信用に値するエビデンスのないことが平気で行われてもきた。だから、成書は常に正しいこと、新しいことが書いてあるとは限らない。これは至極当然のことであり、外科医が試行錯誤して行って得た、血と汗の結晶が現時点での臨床の常識であるとも言える。外科領域では基礎医学と異なり、確固としたエビデンスを出すことは難しい。エビデンスがあるからといって直接臨床に結びつけられるかというと、そうでもない。それゆえに医師は悩む。よく見受けられるのは、「私が上司に習ったのはこういう方法だから正しいのだ」というニュアンスのフレーズである。その上司が若手医師にとって偉大であればあるほど、信用してその伝統を守ろうとする。あの先生が言うことはすべて正しい、まったく文句がつけられないという状況である。大切なのはその上司が言っていることが正しいのかどうかを自分の頭で考えるということなのだが、通常、そこまで頭が回らないから、そのまま同じことをやり続ける。そして、自分で考えることなく、また自分の後輩にそのまま教えるのである。
医局や施設で伝統的に守られてきた手技や常識が、他の医局、施設、または海外ではまったく異なり、時には非常識となることがある。こうなると、若手医師はどうしてよいのかわからなくなる。これは意外に深刻な状況である。外科医の手術はまさにその個人の経験、知識と魂の表現である。自分の信念に基づき戦略と戦術を決めて行うものである。けっしてマニュアルや手先の器用、不器用だけで決まるものではない。宮本武蔵の言葉に、「打ち込む態勢をつくるのが先、剣はそれに従うものだ」という趣旨のものがある。手術も同じである。もちろん、剣の鍛錬は行っていることが前提ではある。
当時、埼玉県立がんセンター胸部外科の科長であった浦本秀隆氏と手術手技の話をしていて、「一緒に本を書きませんか」と持ちかけられた。内容を詳細に聞くと、巷に溢れているただの教科書みたいな本ではなく、上記のような若手医師のためになるような本を書きたいということだった。診療・手術を中心とした内容で、医師にとって重要なことはもちろん、基本的過ぎて成書にさえ載っていないような技術、さらには意外にベテラン医師でも十分な知識をもっていないと思われることを本にしたいということであった。私は現在の病院に赴任したのが39歳で、40歳で科長になり、ちょうど責任者10年という節目の年でもあり、まだまだ未熟、修行の身ではありながらも、協力させてもらうことにした。
この本はそもそも教科書ではなく、著者らの考えや知識が一方的に記されている部分がある、ある意味では傲慢な本であるため、当然、異なる意見や反対意見もあるだろう。しかし、それは自然なことだ。だからこそ面白い。この本は若手医師が絶対に知らねばならない基礎的事項のほか、失敗経験や、苦労して得た知識や手技も記載した。なかには個人的に、海外を含め親しい医師に教えていただいたことも含まれている。外科医が執刀医として独り立ちし、自分で責任をもって患者の病気と一緒に闘うためには、論文や学会などで幅広くさまざまな意見を取り入れ、自分なりに咀嚼し、考え、吸収(時には破棄)する態度が必要である。もっとも悪いのは、自分のこれまで行ってきたことや上司から得た知識だけが正しいと思いこみ、自分では考えず、勉強せず、そして何よりも自分自身で行いもせずに、他人の意見や手技を頭から信じたり、すべてを排斥することにある。
多くの医師にこの本を読んでいただいて、何か少しでも診療に役立てられることや感じられることがあれば、このうえない幸せである。
2017年5月
常塚宣男
久々に、というかはじめてかもしれない。医学書を最初から最後まで読んだ。もっとも普通の医学書ではない。51の話題がエッセイ風に書かれており、初歩的、基礎的な話題もあれば、専門的、少しマニアックな話題で、頭でしっかりイメージしつつ読まなければついていけないものもある。40年以上呼吸器外科医を続けている筆者ではあるが、興味深く読んだのはむしろ前者のほうである。初歩的、基本的とされる手技は、教科書はもちろん学会などでも取り上げられることはほとんどなく、教室や施設、一門のいわゆる流儀の中に埋没してしまっている。無批判に踏襲されてきた流儀は、一見無難な手技であり、大勢に影響がないゆえに思考を閉め出してしまう。ここに焦点をあてた本はめずらしく、著者らの着眼点はすばらしい。
本のタイトルに惹かれて裏技的テクニックのいくつかを覚えたいと思っただけであれば、この本の価値を引き出せないであろう。この本は裏技が列挙されているのではない。いつものルーティーンの裏側にあるものを掘り起こそうとしている。時には掘り起こしきれないものもあるが、そのときの著者らの態度には共感できる。決して自分の考えを押しつけようとせず、控えめに主張したり、時にはさまざまな考え方を紹介するにとどめている。著者らの願いは、読者に考えてほしいということなのであろう。考える外科医になってほしいのである。読み進めるにつれ、筆者とは意見を異にすることや、もっと強く主張したらよいのにと思える記述に何度か出会った。しかし、それこそが著者らの願いなのであろう。
外科学は、本当に科学といえるのであろうかと思えるほどわからないことだらけである。だから発展性がある。なにげなく行っているルーティーンの中にも目を見張るような真理があり、それが現在直面している問題とリンクすれば、発想となり、難局の突破口となる。何十年外科医をやっていても毎年、何度も、はじめての経験をする。そのとき、経験したことがないので対処の仕方がわからないというのはなんとも悲しい。
著者らに代わって再度強調したい。というか、筆者の願いでもある。考える外科医になってほしい。本書を読みつつ強く感じたことである。ただ一つ、気をつけてほしいことがある。「考えること」と「理由づけすること」はまったく異なるということである。聖書にこんな言葉がある。「虚偽の推論によって自分を欺く者となってはならない」(ヤコブの手紙1章22節)。外科医学界で主張されていること、いや常識といわれていることを含め、どれほどのことが理に叶い、どれほどが屁理屈なのであろう。誰もが陥りやすい罠であり、誰でも主張しつつもその不安を拭えないことはしばしばある。そうならないために何が必要なのであろうか。きっと、一人だけで考えないことではないか。みんなで意見を戦わせつつも、自分の主張を押し通そうとするのではなく、一歩下がって本当のところは、真実は何かを探し続けるなら、少なくとも間違った方向にはいかないであろう。
この本は教科書ではなかった。技術書でもなかった。考えさせられる本であった。初心者にも、ベテラン外科医にもきっと響くものがあるであろう。
胸部外科70巻9号(2017年8月号)より転載
評者●姫路医療センター呼吸器センター部長 宮本好博