正解を目指さない!? 意思決定⇔支援
人生最終段階の話し合い
著 | : 阿部泰之 |
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ISBN | : 978-4-524-24666-3 |
発行年月 | : 2019年7月 |
判型 | : A5 |
ページ数 | : 262 |
在庫
定価3,520円(本体3,200円 + 税)
- 商品説明
- 主要目次
- 序文
- 書評
個別性が高い(一般的な例が存在しない)、人生の最終段階における意思決定を、どのように支援するか。患者さん本人と家族の方に、どのようにして最良の過ごし方・医療を提供できるか。
本書はこのようないわばマニュアルの存在しない領域について、本質論から説き起こして必要とされるコミュニケーション技法を解説し、著者の理論による実践的な問いかけ→答えを積み重ねて、順を追って読み解くことによって技術・態度が自然と身につくよう構成されている。解説文は著者が読者に語りかける親しみやすいスタイルで、ワークシートを多用し、医療の場における課題を身近なわかりやすいものに置き換えた具体例として示しながら進められる。
本書を通読して自分のものにできれば、「人生の最終段階」に限らない、医療者・援助者として生涯役に立つコミュニケーション能力を身につけることができる。
まえがき〜話し合いを始めましょう
意思決定支援〜よくある30のギモン
第1章 2000年以上変わっていないこと
1 「人生の最終段階」と「意思決定」を考えるにあたって
2 約2400年前,ソクラテスは自分の死をどのように考えたか
裁判にかけられたソクラテス
ソクラテスは話し合いをしたかった
周囲の人はどう受け取ったか
ソクラテスにとっての「死」
3 人間は大昔から人生最終段階について話し合ってきた
第2章 人生最終段階の意思決定⇔支援
1 人生最終段階とはいつのことか?
人それぞれの「人生最終段階」
国の調査における「人生の最終段階」表現の変遷
医療現場(臨床医学)における「人生の最終段階」
2 人生最終段階の意思決定過去
60年の議論をふりかえる
歴史をふりかえるにあたってのおさらい
医療におけるパターナリズム
当事者の権利運動が人生最終段階の医療に流れ込む−リヴィング・ウィル
リヴィング・ウィルの制度化−アドバンス・ディレクティブ
アドバンス・ディレクティブの失敗
アドバンス・ディレクティブを越えて
3 「意思決定」についてちょっと深く考える
アドバンス・ディレクティブとアドバンス・ケア・プランニングの違い
アドバンス・ディレクティブの背景にある考え方
アドバンス・ケア・プランニングの背景にある考え方
4 アドバンス・ケア・プランニングにだって課題はある
モダニズムに逆戻りする場合がある
ポストモダニズムに偏り過ぎる場合がある
5 アドバンス・ケア・プランニングにできないこと
「意思決定能力がある」という前提
病気を抱える人をイメージしてみれば
第3章 意思決定とは何か意思決定を基礎づける
1 意思決定に関与する要因
2 意思決定を全体像として捉える
医療における意思決定はどのように考えられてきたか
全体像(構造)は常に動く
3 じぶんできめるって?
ケンタくんの疑問
じぶんできめるのはあたりまえのこと?
じぶんできめさえすればよいの?
誰でも自己決定する能力があるとみなしてよいか
改めて医療における意思決定を考えると
自己決定・自律に関わる実験の紹介
決め方を選ぶのも考えどころ
4 不合理を認めよう
理性以外のよりどころ−感情
行動経済学からのアプローチ
「理性か感情か」「合理か不合理か」
5 “正解は目指せない”からこその“正解を目指さない”意思決定
そもそも正解は“ある”のか
「正解」≒「正解だったとする確信」!
現象学からの説明
6 意思決定プロセスにおける「納得感」を指標にする
人間の心は“変わる”
話し合って“決める”
7 意思決定を保留するという選択肢
保留することのメリット
時間を味方にしよう
8 意思決定の支援とエビデンス
ほんとうのEBM
エビデンスに基づいた医療とは
エビデンスの“利用法”
第4章 価値観コミュニケーション
1 医療現場にあふれる「対立」
信念対立という捉え方
信念対立はそのままにしてはいけない
2 隣の人は異星人?
人が「怒る」のは
「違うのがあたりまえ」からスタートする
3 意見は必ず何かしらの価値観に基づく
「価値観」について考える
価値観の違いの具体例
4 価値観レベルでの話し合い=価値観コミュニケーション
まずは“アイスブレイキング”
家族旅行の例で考える
共通の大きな(メタな)目的・目標を掲げる
自分の価値観を俯瞰する
お互いの価値観を開示する(自己開示)
全力で相手を認める
納得感を指標にして話し合う
5 価値観コミュニケーションは未来志向のコミュニケーション
コミュニケーションスキルとして身につける
多様性が重視される世の中で
第5章 「人生最終段階の意思決定を支援します!」−そういうあなたはどんな人?
1 意思決定支援者の態度・姿勢
支援者がこんな態度だったら
「今世紀最大の人権問題」ではないか
態度・姿勢の「形」を身につけよう!
2 人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン
最初の最終段階ガイドライン
新しい最終段階ガイドイン(平成30年改訂)のポイント
なぜ,最終段階ガイドラインが態度・姿勢の「形」と言えるのか
最終段階ガイドラインの5つの要点と3つの段階
3 意思決定能力を評価し本人の関与を最大化する
なぜ,意思決定能力の評価が態度・姿勢の「形」と言えるのか
意思決定能力の評価を考えよう(事例提示)
意思決定能力とは何か,どう評価されているか
意思決定能力の評価方法
意思決定能力評価の際に気をつけること
事例の田中さんの意思決定能力は?
4 代理意思決定者のあり方とベスト・インタレスト
なぜ,代理意思決定者のあり方を考えることが態度・姿勢の「形」と言えるのか
代理意思決定者の選択
当事者にはたらきかける
ベスト・インタレスト
第6章 人生最終段階の意思決定の実際−これまで学んだことを実践に
1 「正治さん」の例
2 話し合いの前に必要な2つのポイント
患者さんを“他者”と認識する
苦痛を緩和する
3 畏(かしこ)まること
4 話し合いはいつから始めるのがよいか
時期の目安(一般論)
早すぎることもある
5 関係性を意識する(関係性を深める)
こんな形で関係性が深められることも
関係性が築ければタイミングは自然にやってくる
6 人生最終段階の話し合いの導入
導入は誰でも難しいもの
どのような態度で臨めばよいのか
どんな言葉で切り出すか
7 撤退する勇気
8 価値観コミュニケーションを使う
患者さんに答えの理由まで聞こう
医療者からの自己開示
10のkeyテーマによる進め方
9 話し合いのイニシアチブについて
10 納得感,信頼関係
11 決めごとは変わりうるもの
12 おわりに人生最終段階の意思決定およびその支援に取り組むみなさんへ
ほぼコミュニケーション研修である
医療者の研修と患者さん・市民への啓発が両輪である
「決めること」から「関係性の深まり」へのパラダイムシフト
付録
1 人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン
2 人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン解説編
あとがき〜最後のラブレター
索引
著者紹介
まえがき〜話し合いを始めましょう
私は医学部の教員でもあるので、医学部で講義をし、また臨床実習でも医学生を教えています。そのときの私と医学生のやりとりから話を始めることにします。緩和ケアについて話す中で、必ず次のようなやりとりをするようにしています。
私 「日本においてがんで亡くなるのはどれくらいの確率か知ってる?」
学生「えーと、たしか3割くらいでしたか?」
私 「うん、そうそう、だいたい1/3の人ががんで亡くなるんだったよね。じゃあ、人間が死ぬ確率は?」
学生「??」
私 「私も君も含めて、いずれ死ぬ日がやってくるかどうかってこと」
学生「それは、まあ100%です」
(このとき学生はたいてい「この先生、なにあたりまえのこと言ってんだ」って顔をしている)
私 「うん、そうだよね。人間は必ず死ぬ。お金持ちでも貧乏でも、偉い人も偉くない人も、善い行いをしてきた人も悪いことばかりしてきた人も、みんな死ぬ。きっと私のほうが近いけど、君にもいずれその日がやってくる。医学者も科学者のはしくれだろうけどさ、これは科学者が100%という言葉を唯一使っていい場面なんだよ。他のことで100%って言葉を使う人がいたらさ、それは詐欺師か占い師のどちらかだな」
学生「はあ、まあそうですね」
(おじさんのこの手のジョークは、だいたい若者には通用しない)
私 「一般論で死がどうとか言ってもなかなか実感がわかないよね。まあ、みんなそんなもんだ。じゃあ、言い方を変えよう。君がだいぶ歳をとったときのことを想像してみよう。そうだな、まあ、70歳くらいとしようか。で、がんになって、どうも余命いくばくもないらしい。そんな君の担当は、ちょうど君くらいの若い医師だったりする。若いとはいえ、君のように人柄はよさそうだ。でも、こと死ということになると、“いやいや、僕はまだ人生経験も浅くて、死とかあまりピンとこないんです”なんて言ったりしている。そんな医師に自分の大事な人生の最終段階を任せられる??」
学生「いや、できれば別の医師を、とお願いしたくなります」
私 「そうだよね。私もそう思う。臨床実習が終わって、国家試験を通れば、君もすぐ臨床に出るだろう。そして、亡くなりゆく人の担当となるだろう。この若い医師の姿は2年後の君の姿なんだよ。死とか死にゆくことを考えておくというのはそういうことなんだ。医師としての責任を果たすために必要なことなんだよ。しかも、すぐにその日はやってくる。じゃあ、先へ進もうか」
学生「はい、わかりました」
(ここで学生の表情はキリリと締まってくる。若干の前傾姿勢になっている学生もいる)
こんなやりとりを毎週しなければならないのですが、このことは、彼らが医師になるために話しておかなければならない人間の本質であるので、毎回欠かさないようにしています。
さて、こんなやりとりから始めたのは、人生最終段階の意思決定やその支援のやり方について考える前に、このテーマの普遍性、重要性、いや、「切実さ」という言葉が一番妥当かもしれませんが、よくよく考えておく必要があると思っているからです。
人生最終段階のことを決めるにしても、最終的には、誰と何をどう話すかという具体的コミュニケーションに落とし込まれるわけですが、この話題に関しては、マニュアル的にこれこれこういうコミュニケーションをすればOKという形で提示するわけにはいきません。なぜなら、ものすごく個別性が高いものだからです。「すべてのコミュニケーションは個別的なものだろう」と言う人がいるかもしれません。そのとおり、決まった台詞を言えば成り立つコミュニケーションなど、この世にありません。
でも、たとえば、ハンバーガーチェーンのレジ係の応対と、人生の最終段階の意思決定の話し合いを比べてみたらどうでしょうか。ハンバーガーチェーンの応対にはマニュアルがあるようです。
レジの順番が来ると、まず「いらっしゃいませ。○○バーガーへようこそ。店内でお召し上がりですか?それとも、お持ち帰りですか?」などと言われます。おそらくはじめの挨拶と、その後に店内かテイクアウトかを聞くということは決まっているのでしょう。客が男だろうが女だろうが、年寄りだろうが子どもだろうが、この台詞は大きく変わることはありません。
では、病気が進行して最期が近づいたときに、どこで過ごしたいか医療者と患者が話し合う場面ではどうでしょうか?何かうまい言い回しがあって、それをマニュアル的に誰にでも適用すればよいのでしょうか。
「○○さん、こんにちは。本日の話し合いは○○さんの最期のときのことです。病院でお過ごしになりますか?それとも、ご自宅ですか?」なんて軽々しく言われたくないことだし、しかもみんなこれと同じ台詞を言っていると知ったら……。
ハンバーガーを買うときならマニュアル的でも許せるけど、人生最終段階のことなら許せない。まあ、それも当然です。話し合っているテーマの重みがまったく異なるわけですから。ハンバーガーショップも昼どきともなると、お客さんが列を作って、とても忙しそうです。たまには、チーズバーガーを頼んだのにプレーンのハンバーガーだったとか、ナゲットのソースが入っていなかったなどというミスもあります。ハンバーガーが違うというくらいなら、忙しそうだったし、仕方ないなと思うことはできます。次に行ったときに、あらためてチーズバーガーを頼めばいいのですから、やり直しがきくものです(厳密に言えば、すべての意思決定はやり直しがきかず、一回こっきりです。これについては本文で述べます)。
しかし、これが人生最終段階のことがテーマならどうでしょう?胃ろうは嫌だと表明していたにもかかわらず、意識障害から覚めると胃ろうが造られていたとしたらどうでしょう。医師に「あー、ごめんごめん、そう言ってましたね。忙しくて間違えちゃった」と言われて納得できるはずがありません。それだけ、このテーマはシビアであるし、「切実な」ものなのです。
それは当然のことです。ありていに言えば、人生は一度きりだからです。人間は必ず死にます。そして、同じ人生をもう一度やり直すことはできません。やり直せる(と私たちが思っている)ことについての決定・選択よりも、一度きりでやり直せない決定・選択のほうが慎重になるということは、人間の本質といっていいでしょう。
本書は、タイトルこそ「人生最終段階の〜」となってはいますが、書きたかったのは、人生最終段階に限らない、意思決定およびコミュニケーションの本質についてであり、もっと言えば、私たちが人間としてどう生きるかという問いに対するひとつの答えです。“本質を問う”とはいえ、あまり堅苦しくならないように、さまざまな工夫を凝らして書きました。著者の私と読者のみなさんが、意思決定をテーマにフランクに話し合っている、そんな場面を思い浮かべて読んでいただけると大変うれしく思います。
それでは、みなさんとのおしゃべりを始めましょう。
2019年5月
阿部泰之
本書はもちろん、終末期医療、緩和医療における患者のケアと対応をテーマにした内容ではあるが、複数のタイトルが示すように、それぞれのタイトルに対しての著者の考え方、哲学が込められており、必ずしも緩和医療に限定した指南書ではない。むしろ、表紙の文字サイズが示すように、いろいろな場面での意思決定と支援の在り方を軸として示しながら、緩和医療への応用を提示している点がおもしろい。筆者なりの解釈でいわせてもらえれば、人と人のコミュニケーションのあり方と信頼関係の築き方が本書の中心として語られている。
第4章で述べられている「価値観コミュニケーション」では、家族旅行の行き先を例にあげながら、小さなグループから大きな組織における意見の対立をどのように解決していくかという、チームをまとめる考え方が述べられている。「とりあえず話し合う」のではなく、「話し合いの順序」が決まっていることを提示し、忖度ではなく、話し合いのプロセスで納得感を指標にして決める「プロセスの重要性」が示されている。そして、最終的には誰のために、何のために話し合いをしているかという原点を忘れないことが大切と述べている。筆者自身は、著者がいちばん強調したいのはこの点ではないかと考えている。
「人生最終段階」という重いテーマではあるが、著者が絵本作家として活躍しているという背景もあり、具体的な例を示しながらわかりやすく順を追ってすすめている点、さらに研修医と少し頼りない指導医の医療現場で日常的に交わされる会話を交えている点で、最後まで読者を飽きさせずに読ませてくれる工夫がある。章がすすむごとに指導医自身が成長するのもおもしろい。「人間は必ず死ぬ。…(中略)…科学者が100%という言葉を唯一使っていい場面なんだよ」と著者が医学生に教える場面から始まるので、興味をもって読み始めた。さらに、冒頭で「意思決定支援〜よくある30のギモン」として問いがあり、本文でそれぞれのギモンに対する回答が用意されている。そして最後に「正治さん」の例として、実際の現場で「型」として応用できる例が提示されている。
緩和医療にかかわる医療関係者のみならず、意思決定に迷う人に一読をおすすめする良書である。
胸部外科72巻12号(2019年11月号)より転載
評者●新潟大学医歯学総合病院心臓血管外科・呼吸器外科教授 土田正則
この本のタイトルは、脳に明確に訴えはしないが、おおよそのヒントを与えると同時に、なんだろうと疑問をもたせるに十分なものである。人生の最終段階、少し前には終末期といわれていた段階の患者さんとどう向き合えばよいのかを書いた著書である。この著者は、まだ50歳にも満たない人生経験でこの著作をものにしている。70歳を超え、自分の死と患者の死が重なり始めた年代の医療者にすれば、こんな若僧に何がわかるんだ、理屈をこねているだけじゃないか、と思われるかもしれない内容である。確かに理屈好きである。でも、たくさんの経験をし、常に患者から学んでいる。
読んでいて思い出したのは、1990年代のこと。この時代は日本の医療がパターナリズムから脱却するターニングポイントの時代であった。癌の告知をするべきかどうかが頻繁に大きな学会のパネルディスカッションやワークショップのテーマとして取り上げられ、活発な議論がなされていた。ある学会で、私より20歳以上年上の高名な先生から、「君のような若僧に癌患者の不安や恐れがわかるのか」といった発言が、告知すべき派の私(40歳代前半)に対してあった。「失礼ですが、先生より遙かに多くの患者さんに告知をし、逃げずに向き合ってきました」と私は答えた。年齢は患者さんを安心させる要因にはなるが、やはりどれだけ真剣に考え、実践し、改善し、その経験を掘り起こして言葉にして伝えたい思いをもっているかが大切なのであると思う。
著者の阿部泰之先生はたくさんの経験をしながら、もっとよくできたはずであるという気持ちを持ち続け、求め続けてきたのであろう。もっとも大切なことは、人生最終段階においてはマニュアルなどない、個々の患者の人生(と同時に自分の人生)とたくさんの時間をかけて向き合えるかどうかであると訴えている。医療者はいずれ自分も死ぬという立場を共有している。自己開示が腹を割った話し合いには欠かせない、人間はかわるから繰り返し話し合うこと、ガイドラインの裏にあるものを読み取り実践することと伝えている。著者がおそらく意図的に触れていない問題として、人間の霊的側面、魂の側面がある。デカルトとパスカルの大きな違いは宗教や信仰に対する態度であるが、その点については次の著作に期待することとする。
この著書の内容や基本的姿勢は、人生の最終段階より大分前の時点にも当てはまる。治療を受けたくない癌患者はそこそこ存在する。また治療の選択において、通常の第一選択(たいてい一番よく治る治療)を拒む方も少なくない。医療者としては、もったいないと思ってしまうが、そのような方々とどうやって向き合い付き合っていけばよいかにも、大いに適応できる内容である。読み終えたとき、急速に高齢化がすすむ時代、すべての医療者に目を通していただけたら、と感じた次第である。ただし、言葉に翻弄されず、理屈っぽさに耐える覚悟は必要である。
臨床雑誌外科82巻1号(2020年1月号)より転載
評者●淀川キリスト教病院外科特別顧問 笹子三津留