書籍

「なぜなんだろう?」を考える外科基本手技

: 稲葉毅
ISBN : 978-4-524-24603-8
発行年月 : 2018年10月
判型 : A5
ページ数 : 204

在庫あり

定価3,520円(本体3,200円 + 税)


正誤表

  • 商品説明
  • 主要目次
  • 序文
  • 書評

「針は回すな」、「腹膜をいきなり電気メスで切ってもいい!?」 通常の教科書・手術書では語られることのない、外科基本手技の理屈をあえて追求。「なぜ」をとことん考える医師の本音が詰まった、外科系診療科にかかわるすべての医師・研修医におススメの一冊。Don't feel...THINK!

まえがき 何のために、外科基本手技で「なぜなんだろう?」を考えるのか
第1章 あまり〜にも当たり前な手術の基本
 1 手術ってなんで立ってやるの?
 2 手術前の手洗いについて考えるべきこと
 3 小物の装着:手袋、マスク、帽子
 4 術衣の裏側、覆布の裏側
第2章 手術器具を観察しよう
 1 手術器具ってなんで曲がっているのか考えたことある?
 2 持針器について:曲がりと溝と出っ張りと
 3 横溝と縦溝:掴むところのギザギザなんて普段は見ないよね
 4 「ケリー糸」の糸の摘み方をしっかり観察しろ
第3章 糸結びを理論で考える
 1 糸を持つ指の基本姿勢は「狐の影絵」
 2 糸の持ち方:糸を緩ませずに持ち替えるところから始まる
 3 両手結び単結紮:わざと理論的にややこしく書きます
 4 人差し指法と親指法はどっちが先か?:「バッテンと輪」に注目
 5 結び目を作った糸を180°開くことに意義はあるのか?
 6 2重結紮:結紮法なんか自分で作れる、理屈が分かっていれば
 7 糸結びのコツは手首にある
 8 指の押し込み:「自分の距離」を知ること
 9 糸結びの練習はゆっくりやれ
 10 弱く縫いたいための外科結紮もある
第4章 縫合の常識は本当?
 1 針は回すな
 2 バックスイング、インパクト、フォロースルー
 3 皮膚の端をわざと合わせない縫合もある
 4 持針器は2次元で動かすとは限らない
 5 有鉤鑷子で針を持つのは大変だ
 6 真皮縫合なのになぜ表皮を持つの?
第5章 切開と剥離
 1 皮膚切開、金属メスか電気メスか
 2 脂肪のためらい傷
 3 筋層のためらい傷:電気メスは掃除機だ
 4 腹膜を電気メスで切ったって良いじゃないか
 5 剥離は細かくやりゃ良いってもんじゃない
 6 刺し込んで開く、刺し込んで開かない:ケリー鉗子の動かし方
第6章 止血、鉤引き、洗浄、ドレナージ
 1 止血技あれこれ
 2 鉤の引っ張り方、引っ張られ方
 3 洗浄と吸引管の使い方
 4 ドレーンは赤字で当然である
第7章 点滴、注射、穿刺、ついでに麻酔
 1 駆血帯はどこに巻くかって考えたことある?
 2 採血は針先じゃなく、針の根部を見ろ
 3 勢いよく刺せ
 4 伝達麻酔はカッコ良いけど
第8章 術後の創傷処置
 1 「消毒しない」のはなぜなのかを考えなかった問題
 2 keep wetには時代背景がある
 3 その創洗浄、いつまでするの?
 4 外科感染症の防止道具:ディスポ手袋とかシュアプラグとか
 5 テープの下でドレーンが動く
 6 抜鉤器がない
第9章 外科系の診察手技
 1 パンペリを作るな
 2 マンマの触診は分からん
 3 直腸肛門診:やりたくない、やられたくない
 4 正常エコーを見ておけ
第10章 医学用語ってやつは
 1 内鼠径輪と内鼠径ヘルニアの「内」は違う
 2 胃小網動脈…って言いたくもなるよね
 3 言葉だけ覚えるんじゃない:コーヒー残渣、タール便、米の研ぎ汁
 4 標準的とスタンダードは意味が逆!
 5 良性は良性とは限らない、悪性も悪性とは限らない
 6 ModifyじゃないModifiedの話
第11章 手技じゃない臨床業務もろもろの思考法
 1 その患者、そもそも手術すべきなの?
 2 患者の権利、患者の義務
 3 「低侵襲だから腹腔鏡」じゃ時代遅れ
 4 チーム医療:理論的に正しいことがベストとは限らない
 5 コスト意識を持つのは良いことだが
あとがき 「水な月」の話
ホントのあとがき なんでこんな本を書いたのかの言い訳
索引

まえがき

何のために、
外科基本手技で「なぜなんだろう?」を考えるのか

 手術手技を初めとする外科系の臨床基本手技の習得法の第一は、優秀な先輩指導者の下で実際の処置・手術に参加し、自ら手を動かして実践修練を積むことだ。このことに異論の余地はないだろう。私も賛成だ。
 もちろん、その前提として、
(1)書物や画像教材などを見る
(2)模型を使った練習をする
(3)可能ならば動物モデルを使った練習をする
という修練を積むことが望ましい(でも現実には若手医師側には時間がない、指導者側には予算がない)……とまあ、これも(残念ながら)ありきたりの話だ。やっぱり現場で教わって覚えるのが普通だろう。
 この修練のいずれの現場でも、(先輩のやり方を)覚える、(教科書に書いてあることを)覚える、余分なことは考えずに、とにかく覚える覚える……というのが手技習得の主流だろう。もちろん、外科系の手技を身体で覚えるのは必要不可欠なことで、それ自体は全く悪いことではない。
 筆者は年近く、若い外科医たちや医学生たちを見てきており、手技を覚えることに優れている若者には数多く出会ってきた。その反面、「じゃ、ここでこの器具を使うのは、こういう動きをするのはなぜだと思う?」という問いかけをすると、理論にあった回答が得られた率は、残念ながら非常に低いと言わざるを得ない。日本の医学生の多くは、数学や物理・化学で理論的思考法を修練して医学部に入ってきた人材であるはずなのに、どういうわけか臨床の場、特に

手技を学ぶ現場では、理論的思考が足りない

と思われることが、もっと簡単に言えば、「なぜなんだろう?」と考える習慣が足りずに、いろいろな意味で損してるなーと思われることがしょっちゅうあった。
 数行前に「どういうわけか」と書いたが、思い当たる原因がひとつある。
 これは医学の世界に限ったことではないのだが、遺憾ながら(私も含めて)指導者側が「物事の教え方」を教わってないってことである。
 その理由のひとつは、指導医資格の決め方に限界があるということだ。
 「日本外科学会指導医」を初めとして、指導医資格の認定は様々な学会でやっている。その認定基準の多くは、診療症例経験数であり、また学会発表や論文発表の件数である。もちろん、指導を行うのにはそれなりの経験が必要であるのは確かだ。その反面、人に教える能力というのは全く認定基準になっていない。
 また、指導医資格には学会認定の指導医以外にも、もうひとつ、厚生労働省認定の「臨床研修指導医」って資格もある。こっちの方は、丸2日間泊まり込みで、文字通り朝から晩までビッシリのカリキュラムをこなすという真面目.な講習を受けて取得する資格である(私も受講して資格は取った。正直言って、夜は少しは宴会っぽい雰囲気になるんじゃないかと期待して行ったんだが、とんでもないとんでもない。いや.しんどかった)。しかし、その内容の主体はと言えば、GIO(一般目標)がどーだとか、SBO(到達目標)がどーのこーのといった教育原理論で、教育のカリキュラム作りには役立つかもしれないが、現場での実践指導のやり方とは全く別の世界の話である。
 まあ、どちらの資格認定にしても、そもそも指導能力を客観的に判定するってこと自体が非常に難しいし、医学生や臨床医には小学校の先生を育成するような「教育の仕方」なんてものを基礎から学ぶ時間なんてありゃしないので、仕方ないって言えば仕方ない。とにかく、理論的に考えさせる指導医を育てる教育なんてものは存在しないのが事実だ。
 皆さんが指導医に質問をしたときに、「知らない」という返事が返ってくるならまだ良い。ある意味で正直な先生だ。「うるさい」とか「昔からそうやっているんだ」とか「黙ってよく見て覚えろ」とかいう返事しかいつも返ってこないようなら、残念ながらその先生は自分が教わったことを考えずに踏襲しているだけで、理論的指導という発想をしていない人だってことだ。
 えっ、そういうお前はどうなんだって?この本を見てもらえば分かると思うけど、「くどい」「理屈っぽくて分かりにくい」「もっとストレートに言ってくれ」「あんな質問は学生いじめだ」などなどなどなど言われ続けておりました。スミマセン、私のことは置いといてください。
 もちろん、指導医の先生方だけに責任があるわけでは決してない。何しろ指導医自身が実践的指導の仕方ってものを教わったことなんかないのに、「指導医」として教えねばならないのだから。そのため、大抵の場合は良くも悪くも、自分の教わった指導方法を踏襲するだけってことになるのは、ある意味仕方がないし、それが全て悪いなんてこともない。
 若手に自分で考えさせるという指導法ではなく、「俺の学んだことは全て伝えるから、とにかく覚えろ」というスタイルだが、その教える内容は素晴らしく、多くの優秀な若手を育てているという指導医の先生方も数多く見てきた。
 指導医の書く教科書もまた然りである。「こうやれ」「こうやるのがコツだ」という記載に比べ、「なぜこうやるのか」という理論的記載が少ないと感じられるものが大半なのは、昔とあまり変わらない。しかし、最近の教科書の記載は、中でも手技に関する記載は、具体性に富み、さらに画像や付録の動画も充実しており、自分が学生だった頃に比べ、はるかに素晴らしいものになっている。
 それでも敢えて言いたい。

「考えさせる指導が足りない」

と。
 じゃ、もし指導医が「黙ってよく見て覚えろ」型だった場合、指導される側としては、どう対応すれば良いのか。「余分なことは考えずにとにかく覚える」のが、ある意味では一番楽な対応だ。頭を使わないんだから。ただそれは、自分自身が理論的思考・指導能力の欠如した臨床医や指導医になる道を突き進むことに他ならないし、実際の手技中に無駄な動きが多くなって損をすることも増えてしまう。
 手技を覚えるのはもちろん大切なことだが、ただ覚えるだけではなく、ちょっと立ち止まって、「この外科系基本手技では、なぜこういう動きをするのか」という理屈を考える方が、むしろ覚えやすいし応用も利く。結果的に楽もできるはずだ。
 自分で考えることは、指導医の指導スタイルとは関係なく、誰でも自分でできることだ。ただ、この

「ちょっと立ち止まって、『なぜなんだろう?』を考える」

というのは、習慣ができていないと結構難しいというのも確かだ。

 本書では、私がこのように「ちょっと立ち止まって、『なぜなんだろう?』を考えた」項目について、手技を中心に、広く外科系の発想について、思い出すがままに書いていく。残念ながら実例のないものは書けないので、基本手技を網羅したいわゆる「実戦マニュアル」にはなってません。学術論文でもないので、私の記憶以上で参考文献を検索することもしていないし、皆さん理解できると信じて本文中では医学用語の略語も普通に使うことにした。文体は、ひとつひとつの事例について私の主張をはっきりさせるために、わざと一方的な物言いにしているので、相当な反発反論があるはずだ。ベテランの先生方には「この手技は自分が長年やってきたベストのやり方と違う」という意見の方も多いはずだ。いや、それ以前に「こんなん当たり前だ、くだらん」の一言で片付けられてしまうことばかりかもしれないが、その点について議論するつもりはない。
 むしろ筆者としては、「この本にはこう書いてあるけど、自分の考えは違う。なぜなら……」という反対意見を

若い医師たちが自分の発想で理論的に
考えてくれれば、「してやったり」

である。
 私自身、いわゆるスーパードクターでもなんでもない平凡な外科医なので、難しいことは書かない(というか書けない)。でも実際には、難しい手技よりもむしろ初歩的なこと、つまり普段なら「当たり前だ」の一言で片付けられてしまい、考えることすらしないような基本手技を理論的に考えて理解しておくことこそが、

「なぜなんだろう?」を考えられる臨床医になる

ためのヒントになるはずだ。
 なお、昔の話で記憶が曖昧なところはあるし、正直言って多少脚色したところもあるが、本書に書いたエピソード(失敗談も含めて)は、全て私自身が経験した実話であることを申し添えておく。

 稲葉毅先生がこのたび上梓された本書は、外科系の専門家をめざすすべての研修医にぜひ一度読んでもらいたい本である。つまり、一般消化器外科や心臓血管外科などのいわゆるメジャー外科だけではなく、耳鼻咽喉科、泌尿器科、婦人科、眼科、皮膚科などドイツ語でメッサーザイテといわれる幅広い専門領域をめざす者である。いや、すべての研修医にとっての必読書といってもよいであろう。それどころか、外科病棟に勤務する看護師にもよいかもしれない。
 外科系の仕事は、理屈がわかっていても実際にできなければ「役に立たない奴」と評価されてしまう。外科的な処置や手術は、ともかくみて覚えて慣れるという作業が必要なものも多く、共同作業なので、とりあえず術者の要求する所作が確実にできないことには失格である。いわゆる“手際のよさ”が要求されるので、「どうしてそうするんですか」といちいち聞いていたら、“つべこべいうな”的対応をとられる上司が大方の相場である。しかし、疑問をもって、いつか解決しようと心に決めておくことは大切である。なかには稲葉先生や筆者のように、外科の慣習的な所作の裏にある合理性を見抜いていて解説してくれる医者もいるからである。そして、最終的にはたいていの先輩から教わる“お作法的”な所作にも理由があることに気づくこととなる。もちろんどちらでもよいのに、この医局ではこっち、別の医局ではあっち、といったこともある。ただ、そうした相違をみたときに、なぜだろうと考えてみることはきわめて大切である。手術をたくさんやってきた達人には、必ずその人なりの創意工夫がある。また、解剖学の深い理解がある。それなりの工夫にこだわり続ける年配の外科医もいる。筆者は本書の個別的解説すべてに完全に同意するわけではないが、著者がいわんとした、常になぜという疑問を持ち続けることの大切さは大いに支持したい。
 考えない外科医には、進歩がない。また、素晴らしい術式を思いつくこともないであろう。胃癌に対する標準的手術(もちろん最良の治療という意味で)をいくつもの臨床試験でかえてきた張本人として、疑問を持ち続けることの大切さを強調したい。できるだけ広い世界をみることは、場所で異なる常識の違いに目覚めさせてくれる。海外に出ていく若手医師が減ってきていると聞くが、異なる世界を知らずしてベストにたどり着くことはないであろう。外科医の減少が危機として報じられる昨今、本書にあるような“考えるおもしろさ”に若い人がもっと気づいてくれたら、外科系の医師は確実に増えるであろう。
 内科医が行っている仕事のかなりの部分が人工知能(AI)の発展・利用で奪われてしまい、少数のエリート内科医がAIを用いて大量の患者の診断を短時間で的確に行い、治療や投薬の場面は優秀な看護師や薬剤師が優しく寄り添ってくれる時代がくる(?)。一方、単純な一部の手術を除いて、自立型ロボットでは手術は無理である。ことに腸管のような、形態や性状の変化が激しく定型化しにくい臓器の、しかも癌のような病気の手術に関しては、AIに覚えさせる情報すら十分にはないのが現状である。外科医はロボットでは代替できないと思うぶん、外科医は常に考える人でありたい。

臨床雑誌外科82巻2号(2019年2月号)より転載
評者●淀川キリスト教病院外科特別顧問 笹子三津留

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