肺の音の不思議
歴史と科学から紐解く肺聴診
著 | : 工藤翔二 |
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ISBN | : 978-4-524-21042-8 |
発行年月 | : 2024年4月 |
判型 | : 新書判 |
ページ数 | : 160 |
在庫
定価2,530円(本体2,300円 + 税)
- 商品説明
- 主要目次
- 序文
- 書評
なぜ,“聴診器”は200年の時を超えて使われ続けているのか――. 呼吸器内科学と肺音聴診の大家である著者により,肺聴診について歴史と科学の両面から紐解いた一冊.聴診器の発見と聴診学の発展から,呼吸音・肺音の成り立ち,副雑音発生のメカニズム,聴診のポイントまでをわかりやすく「読み物」としてまとめた.医療者はもちろん,音響工学等に関連する非医療者の方々にも,肺聴診の面白さと奥深さを楽しく学んでいただける.
第1章 歴史探訪 身体のなかを知りたい
◆叩いて知る─打診法を発明したアウエンブルガー(オーストリア)と打診法を広めたコルビサール(フランス)
◆胸の音を聴く─聴診器を発明したラエンネック(フランス)
◆ラエンネックの『間接聴診法』
◆聴診器と『間接聴診法』の世界と日本への伝搬
◆日本の聴診学の原点─ドイツ医学における「ラ音」の表現
第2章 近代肺音研究の夜明け
◆肺の音を記録して解析する
◆サウンドスペクトログラフとは
◆肺聴診を科学に変えたポール・フォジャクス(イギリス)
◆ 国際肺音学会(ILSA)を設立したマーフィー博士とラウドン教授
◆欧米における肺音用語の混乱と統一への動き
◆ 肺音用語を統一した第10回国際肺音学会と国際肺聴診シンポジウム
第3章 聴診器の科学─入門編
◆身体の色々な音を聴いている聴診器
◆聴診器は身体表面に伝わった音を耳に届けるトランスデューサー
◆聴診器の管は短いほど大きく聴こえる?
◆聴診器はなぜ重いの?
◆聴診器のSN比
◆聴診器の周波数特性
第4章 呼吸の音
◆肺の役割─酸素を取り入れ二酸化炭素を排泄するガス交換
◆気道とは何か
◆層流と乱流
◆気道のなかの空気の流れ─乱流から層流、そして分子拡散
◆呼吸音の源─乱流が発する雑音
◆気道の乱流騒音をそのまま表現している頸部で聴かれる「気管呼吸音」
第5章 肺のなかの音の伝搬
◆肺内で発生した音の広がりかた
◆肺のなかの音速
◆肺のなかの音速は毎秒数十m
◆肺内の音速が周波数に依存する理由
◆音速が遅いからわかる音の方向
◆肺は高い音を通しにくい
第6章 胸壁上で聴かれる呼吸音の話
◆気管支呼吸音
◆肺胞呼吸音とその異常
●肺胞呼吸音とは何か
●肺胞呼吸音が聴こえない
●肺胞呼吸音の気管支呼吸音化
第7章 ラ音を知ろう
◆断続性ラ音
◆ファインクラックルズ(捻髪音)
●ファインクラックルズが聴かれる疾患と聴かれない疾患
●胸部X線写真より感度が高いファインクラックルズ
●ファインクラックルズは重力の影響を受ける
●ファインクラックルズ発生のメカニズム
◆コースクラックルズ(水泡音)
◆クラックルの波形はなぜ後ろの周期が長い
◆連続性ラ音
◆ウィーゼズ(笛様音)
●モノホニックウィーズとポリホニックウィーゼズ
●ウィーゼズ発生のメカニズム
●ウィーゼズの胸郭内の伝搬─頸部聴診の重要性
●スクウォーク
●喘息と間違いやすいモノホニックウィーズ
◆ロンカイ(いびき様音)
●「パルス列」の話
●いびきの音とパルス列
●ロンカイは連続音か、パルス列か ことの発端
◆ラ音以外の副雑音
●胸膜摩擦音
●皮下気腫とハンマンズサイン
第8章 肺聴診の仕方
◆服の上からでは駄目ですか?
◆前から聴くか、背中から聴くか
◆左右を比べながら、ここだけは聴こう
◆こうすると聴こえなかったラ音が聴こえる
◆子供の深呼吸と「風車」
◆頸部聴診の大切さ
◆聴いて考える
はじめに
医学は日進月歩。医療者がその進歩を学ばなければ、知識は古くなっていきます。「医学の半減期は?」という表現は適切ではないかもしれません。しかし、医療者が医療者であり続けるには、生涯にわたって学びを求められるということは間違いありません。医療技術は、積み重ねていく知識としての医学よりも変化がもっと顕著です。かつて使われていた技術が、現在ではまったく使われないことはしばしばあります。そのなかで、発明以来200年以上も使われ続けている医療技術があります。それは聴診器です。なぜ、聴診器という一つの医療技術が、200年の時を超えて使われているのか、その不思議を、本書を読みながら一緒に考えていただければ幸いです。
この200年間、聴診器にも危機がありました。それは、19世紀の終わりにX線が発見されて、当時の主な胸部疾患であった結核の診断に圧倒的に役立つようになったことです。以下は、1936年に第32回米国結核学会会長を務めたジェームズ・ワーリング博士の『聴診の試練』と題した会長演説の一節です。
「幾千もの観察者によって蓄積された数世紀にわたる臨床の経験は、『明と影』という実在しない世界を通してX線の鬼火(原文はwill-o’-the-wisp)を追い求めている間に、忘れ去られるのだろうか? 答えは、否である。理学的診断の歴史は、優れたものは決して失われることがないことを教えている。聴診は打診の価値を高めた。レントゲンは両方の価値を高める。聴診器を愛する人たち(原文はstethoscopist)よ、『聴いて、みて、そして再び聴こう』をスローガンとしよう」。
そのようなワーリング博士の心配をよそに、それから80年以上を経た今日、聴診器は臨床の場で幅広く使われています。
もう一つ、最近のレイモンド・マーフィー博士(後述)の論文のまとめを紹介しておきます。国際肺音学会を設立し、近年の肺音研究の中核を担った博士は、コンピュータ技術が発展しているなかで、聴診器の重要性についてこのように述べています。「予言に反して、聴診器は近い将来、博物館の陳列棚に追いやられそうにはない。それどころか、コンピュータ技術は、聴診器をさらに有用な臨床の道具にしようとしている」と。
本書の縦軸は歴史です。聴診学、とくに肺聴診がどのような変遷を遂げて今日にいたっているかを時の流れで見つめてみたいと思います。
本書には、もう一つの軸があります。横軸となるのは聴診の科学です。200年もの長い間続く古い技術に、近代科学の光を当てて輝かせたい。そうした視点で見ると、聴診には驚くほど多彩な科学が織りこまれています。本書では肺聴診に焦点を絞っていますので、医学としては呼吸生理学です。そして流体力学や弾性波動理論、さらに音響科学と音響工学。どの分野も筆者の及ばない奥深い学問ですが、肺聴診の科学には、それぞれの分野の基礎が詰まっています。
本書は、聴診の「ノウハウ」本でも「ハウツー」本でもありません。聴診器を使う医療に携わる人たちに、その奥深さを知っていただくことが第一の目的です。聴診器は医療者でなくても知っています。もう一つは、医学と科学に興味をもつ一般の方々にも読んでいただくことが目的です。高校生や大学生でも読みやすい内容になっているはずです。本書は、机の前で知識を覚える教科書でもありません。通勤電車のなかでも読める読み物として、聴診の歴史と科学の面白さを感じ取っていただければ幸いです。
2024年3月 工藤翔二
肺の音が物語る診断への道:50年間の研究が明かした肺の音の不思議
ベッドサイドでの聴診が医学生にとって臨床を学ぶ第一歩であることは言うまでもない.それは患者を前にして,医師が診療を始める最初の医療行為であるばかりでなく,飛躍的に進歩した画像診断法などの検査法がある現在でも,病態を迅速かつ的確にとらえることのできるきわめて有用なアプローチになるからである.
そもそも病人の体内から発する異常な音については,医学の始祖とされるヒポクラテスも聴き取って病気の診断に用いていたとされており,聴診は医学の進歩とともに今日まで歩んできたといえる.そして18世紀までは,医師が直接患者に耳を当てて聴診してきたが,1816年にフランスの医師ルネ・ラエンネックの聴診器の発明によって聴診により得られる所見に定量性が確保され,その分析が飛躍的に進歩してきた歴史について,本書では物語として語られている.
さらに本書は,肺から発生する音について,正常な呼吸音から肺の異常によって発生する雑音まで,図を用いてわかりやすく解説され,通読すると初心者でもいつの間にか肺音の専門家になったような気持ちになってしまう不思議できわめて魅力的な書物である.これは,著者の工藤翔二先生が肺疾患の臨床医としてこれまで長年にわたって多数の患者を診察され,第一線で活躍してこられた豊かなご経験をもち,なかでも肺音について50年間にわたって研究されて,その病態生理から音声物理学的な解析までの深い専門的な知識をもたれていたことによって可能になったことである.また,工藤先生のユーモアにあふれた巧みな話術が文章化されて,この「肺音の不思議物語」に凝縮されていると思う.
私の専門である循環器領域では,心エコー図などの画像診断が導入されるまでは,心臓の収縮弛緩に伴う心音と心雑音の聴診が心臓の構造や機能の異常を診断する唯一の手段とされ,今日でもその詳細な分析を習得することが専門医の資格とされている.そして心不全などの診療には肺の聴診も欠かせない.一方で,一般臨床の場では,ベッドサイドで気管支喘息,肺気腫そして肺炎の患者などの診療に当たることも多く,特徴のあるいわゆるラ音を聴取して診断や治療に活かしてきた.本書により,ラ音の成り立ちや特徴,さらには聴取する場所によって診断に有用な情報が正確に得られることがわかり,急に視野が広がったように感じた.とくに,難病である間質性肺炎の患者に対する聴診がX線撮影では読み取れない病変も明かすとの教えは,読者の皆さんも実感されるところであると思う.本書により,楽しみながら肺音についての理解を深めるとともに,診療の場で生きた知識として活用されることになるのではないかと期待している.
臨床雑誌内科134巻3号(2024年9月増大号)より転載
評者●矢ア義雄(東京医科大学 理事長)